2012年2月12日日曜日

プンタレナスに行ってきた!


こんばんは。いのうえです。
昨日ですべての公式な予定は終わって、今日はサンホセに帰るだけなのですが、ルイス・アルベルトがぜひ自分の実家にも寄ってほしいと言ってくれているので、みんなで行ってきました。奥平・藤田ペアは早朝にペレセレドンを発って、もう日本に向かっています。

ルイスが、ウェンディやルイス・エルナン、マイノルの町には行っているのに、なんでぼくのところには来てくれないんだなんて訴えたりするので、軽い気持ちで行こうということになったのですが、今サンホセのホテルに着いてプンタレナスの場所を調べたら、ものすごく回り道をしていることが判明しました。どうりで時間がかかったわけです。

ペレセレドンを出たのは11時頃。今日も最高の天気で、馴染みになった町の風景が過ぎ去っていきます。

















町中でルイス・アルベルトを拾っていざプンタレナスへ。ルイスを送り届けてきたアレックスが見送ってくれました。



プンタレナスはコスタリカの太平洋岸にある町で、まず海岸側に山道を越えていきます。それを越え切ったら後は、延々と海岸沿いに拡がったゴム農園に沿った道路を走ります。















あ、海が見えた。

ルイスの家は、町の中心から10キロほど離れたところにありました。家には14歳の妹さんがいて、家を少し見てからいっしょに町中にあるルイスのお母さんがやっている魚屋に行って、セビッチェとチチャロンをご馳走になるという流れでした。

お母さんの魚屋。ラウルがビールを持ってきてくれた。


















この週末はお祭りだそうです。人でごった返していました。馬の競技会のようなものをやっていて、人と同じくらい馬も溢れていました。お母さんのお店でおいしいセビッチェとチチャロンを食べて、海岸沿いをみんなでぶらっと散歩しました。一緒に行ったラウルはこの町でみんなと会えるとは思いもしなかったと言っていました。お祭りの人の中を土産物屋を見て回ったりしてぶらぶら。潮風が気持ちよくて、今回のコスタリカ滞在で唯一休日っぽい気持ちになれたひとときでした。

ぼくら一行は明日昼頃ホテルを出て空港に。ヒューストンで一泊して14日には日本に帰ります。今回の滞在は、やや詰め込み過ぎて、十分消化し切れなかったところもありました。たとえば、草の根プロジェクトのカウンターパートである自立生活センターとまだきっちり運営の中身について詰め切れていないとか、せっかく帰国研修生に集まってもらったのに、個別の相談に応じる時間がなかったなど、もう少しやりたかったところもありますが、全体的にみれば成果の多い充実した時間だったのではないかと思っています。これまでの訪問が種を蒔く作業だったとしたら、それがやっと芽を出して動き出したような感覚で、手応えがあってとても面白くなってきました。これから5年また何度か来るとは思いますが、ひとまず今回の旅はこれで終わりです。

美しい


2012年2月11日土曜日

Kaloieプロジェクト終了セレモニー



今日のペレセレドンは本当に天気がよく、外に出ると日差しがきついですが心地よい風が吹いてとても気持ちがいいです。皆さんご機嫌いかがですか?クスノキです。昨日はかっちゃんが国会の記者会見にて、重度障害者が社会参加するためにいかに介助者が必要かを話しました。何だかこの瞬間に自分がここにいるのがとても凄いことでコスタリカがこれから変わろうとするときに立ち会えた事がとても幸せでした。

Kaloie終了セレモニー会場

さて今日は、2007年から5年間活動してきたKaloieプロジェクトの終了セレモニーがありました。この5年間のKaloieプロジェクトに関わったすべての人たち(JICA、コンセホ、ペレセレドンのメンバー、国会議員、様々な団体や関係省庁の代表者、そして私たち)が集まり、最後のセレモニーが行われました。

会議ではKaloieプロジェクトに関わった人の話や、Kaloieプロジェクトの5つの成果、Kaloieプロジェクト後の方針、Kaloieプロジェクトの成果を持続させるには?などの報告と発表がされました。沢山の方の報告や発表があり、長いので今回は自立生活センターのメンバーの発表・報告と、日本人専門家の発表を報告しようと思います。
まずは各団体の代表や行政、国会議員の方がKaloieプロジェクトの報告と感想を述べています。ここではジゼルがブルンカ地方の団体の代表としてコメントをしています。ある日ルイスが言った一言を紹介しながら「主人公は私たち。もっと沢山障害者の社会参加の機会作りと人権を守る活動をしていきたい」と語っています。


「ヤシの木のように自立運動に深く根をはり、沢山のヤシの実を手に入れたい。」


次にKaloieプロジェクト5つの成果について発表がありました。このプロジェクトの成果の5つというのは1,情報共有・連携強化、2,リハビリサービスの強化、3,障害者の就労の強化、4,CBRの促進、5,エンパワメントの促進の5つををあげています。
ここではスサーナが5のエンパワメントの促進について発表をしました。前回のブログでも報告しましたが、自身の経験をもとに障害者にとってのエンパワメントの大切さを語っていました。

「私が私としてあるのはKaloieプロジェクトのおかげ。
人として私も同じ権利があるということ、社会の一員として生きていけることを知った。
こうした権利を今後も強く訴えていきたい。エンパワメントされたグループ団体と一緒に進めていきたい。
自立生活運動に大切なのはエンパワメント。」


次にKaloieプロジェクトについてルイスが報告をしました。

「障害者はエンパワメントされることで社会に出る。
社会に出ることで意識が変化する。
意識が変わると積極的に関わるようになる。
運動によって今までの考え方を取り払う。
障害者が外に出ないと変わらない。」

Kaloieプロジェクトの成果の持続のついてはこの二人がコメント。


今回初めて長期で関わらせていただいた奥平さん。
最初思っていたイメージとは全然違うひとでとっても面白い人でした。


奥平さんはKaloieプロジェクトの成功には1,コンセホとJICAの協力がうまくいっている、2,障害者のエンパワメントについて付け加えたこと、3,地域別研修などほかのスキームもうまく働いたことをあげ、エンパワメントされた人たちが声を上げ、お互いに話し合って解決していくことを望む。うるさい障害者がいない国は良い福祉ができない。どんどん声をあげて上手に交渉してほしいとエールを送ってました。

「自立センターをやっていて一番楽しいのは1人の人がどんどん変わっていく姿を見ることができる。
自分で何もできなかった人がどんどん成長していく。人の成長に関わるのは素晴らしいこと。
人の人生をいい方向に変えたり関われる。だからこの仕事をしています。」

廉田さんは昔、コスタリカをみんなで回ったことを思い出す。コスタリカに自立センターを作りたいと思い来た。みんなの人生に関わることができて幸せ。それぞれの町が障害者であふれる街になってほしい。今度コスタリカに来るのを楽しみにしているとエールを送っていました。

紹介した他にも、自立センターのメンバー以外にも沢山のKaloieプロジェクトに関わった方々の報告と発表がありました。皆さん、Kaloieプロジェクトの素晴らしさと、今後のコスタリカの未来について熱く語ってました。みんなが1つの目標に向かって協力して取り組んでいったKaloieプロジェクト。最後にマイノルが「このプロジェクトの終わりは活動の終わりではない。始まりであり、これからも成果を出し続けなければならない。」というコメントがとても印象的でした。

セレモニーの最後は


いつもはビールのかなこですが今日はサングリア。
ちなみに片方は奥平さんの分。2杯飲んでません。

日本とは違い最後は全員サングリアを片手に乾杯で終了。

みんなでおつまみをつまむ。

ところで今回の終了セレモニーですが、発言はみんなスペイン語。話が全然わかりません。そんな日本人に配られたのは

しっかり聞いてるお父さん

ひろし&しゅんじもなにやら装着。























この機会を使うとヘッドフォンからみんな日本語通訳が聞けるんです。
何話してるのかわかるのは2人のおかげ。
このマイクから聞こえてきます。
フランクさん、いがらしさんありがとうございます。ほんと感謝です。

そのあとはウェンディとルイスの家でパーティーがありました。
ウェンディの家。広くて1人暮らしには十分な部屋でした。

事務所とスカイプ。
このあとみんな乾杯をしましたが、けいじさんもチュウハイ片手に乾杯してくれました。日本は朝の10時。

手前にある豚の揚げ物がおいしかった。
楽しいひと時を過ごしました。

昨日のかっちゃんの国会での話だったり、終了セレモニー、コスタリカのメンバーがすごく頑張っている姿を見て、改めてですがすごい瞬間に立ち会えてるんだと実感しました。5年前にメインストリームに来たときはまさかこんな風にコスタリカにきて障害者運動の大きな1歩を踏み出す瞬間に立ち会ってることを想像していなかったし、自分も負けないように頑張らなきゃと思ったコスタリカでした。

さて、今は朝の8時50分。
かなこは一足先にコスタリカを出発します。
僕たちは今日はルイスの故郷プンタレナスに行ってきます。
ではまた。
グラシアス。





2012年2月10日金曜日

国会で記者会見してきたぜ!


コスタリカはもう12時を回って、2月10日になりました。サンホセを午後4時過ぎに出発して、通常なら3時間程度で到着するのが、途中ぼくらを乗せたバスにトラブルが起こったりしたため、ここペレセレドンに着いたのは10時30分ごろでした。じつは昨日も、ここからサンホセに向かう途中の山道でガソリンを運ぶトレーラーが横転する事故が起こって渋滞に巻き込まれ、やはり6時間以上かかって夜遅くサンホセに着いたのでした。さすがに一泊するだけの移動でこれだけ時間がかかると疲れてきますが、明日のKaloieプロジェクトの終了セレモニーが終われば、長かったコスタリカでの仕事はすべて完了します。

さて、今日は午後3時に国会で「自立法」の国会での審議を求め、マスコミ向けに記者会見を行いました。これは、先週の金曜日に国会で小さなフォーラムを開いたときに、急遽決まったもので、今回もずっと支援してくれている写真左から2番目のリタ議員の司会で始まりました。こういった会合でいつもスポークスマン役をやるウェンディがまず話し、勝也が重度障害者が社会参加するためにいかに介助者が重要かを話しました。常日ごろ感じていることですが、勝也くんこういった大舞台には強いですね。堂々としていい話しっぷりだったと思います。通訳のフランクの話しでは、コスタリカのすべてのチャンネルが来ていたそうです。

並ぶカメラの列

ぼくらが2008年にここにJICAの地域研修の事前調査に来たときからの知り合いのエリカが、この法案の成立させるために議員のアドバイザーになって色々な活動しているのですが、「議員に対しては色々コンタクトを取って意義を伝えることはできるが、一般の市民にはなかなかそういった機会を持つことができなかったので、今日みたいな記者会見ができてほんとうによかった」と話していました。


廉田代表とエリカ・アルバレス女史















個別のインタビューにも答えます

今日は午前にも重要な仕事がひとつありました。それは、kaloieプロジェクトでコスタリカ側の代表機関としてやってきた国家リハビリテーション特殊教育審議会の理事会で話をするというものでした。

これは、理事会を構成する障害当事者委員の中に、介助制度を制定することに反対する委員がいるということで、彼らにその重要性を説明するためでした。与えられた時間は15分程度だったのですが、少し延長しながら廉田・勝也でその必要性を話しました。会合でなくこちらからアピールするだけなので、なかなか反応は掴みにくかったのですが、まずやることはやったと言えるのではなかったでしょうか。

コンセホ理事会


今日は朝から一日お別れの日でもありました。

朝6時に出発したテオとアントニエタ



朝7時出発のはずが、なぜか8時出発のぼくらと一緒にいるニカラグア組です。セレステは仕事でニカラグアに行くので、ホセアントニオと同じ便で発ちます。

同期生3人



ホンジュラスとグァテマラは午後遅くの便でした。国会前でお別れをしました。

ベロ
国会でのアピールにはペレセレドンから多くの障害者が応援に駆けつけていて、帰りのバスはにぎやかな彼らと一緒だったのですが、研修生たちが行ってしまったなんとも言えない寂しい気持ちが抑えられなかったです。ルイスAが冗談を言う声が延々と聞こえ続けるバスの中でした。







コンセホから国会の移動の間には、ブリットというこちらのコーヒーが会社のショップでいつものお土産コーヒーの買い出しです。


まるで商人になったかのよう
可奈子朝6時ブログ執筆の図
2時を回りました。眠くなってきたのでそろそろ寝ようと思います。ブログ担当のみなさんは朝までかかって頑張って書いてくれています。お疲れさまでした、もう少しです(いのうえたけし)。


Vamos!!


2012年2月9日木曜日

ディスカッション

おはようございます~ 
コスタリカごはんがかなり気に入って、いつもより毎食しっかり食べているかなこです。
特にいつもお昼を食べるコンセホには食堂があって、おばちゃんの手作りでとってもおいしいんです!サブロッソ~


昨日の午前中は障害者と介助者に分かれてのディスカッション!

   
動き始めたばかりのコスタリカの自立生活センター
まだ仕組みもない中でやっていってるので困っていることも多いはず・・
具体的な問題を聞いていきまーす。

介助者の方は主なメンバーが参加してくれていました。

アレックス 前に他に仕事をしてたけどやめて、介助の仕事へ
金銭的に安定しないけどこの仕事が大好き!
ルイスAやマイノルの介助に入ってて
最近はどこが家かわからなくなってるそう。。。
大会の3日間もめちゃめちゃよく働いてました。



左からエベリン ウェンディの介助者です
今までいろんな仕事をしてきたけど全部長く続かなかったけど、介助の仕事は2年続いてるんだって。
家政婦の仕事もやったことあるけど、介助の仕事は全然ちがって断然おもしろいそうです!
真ん中は日本の研修に来てたカロルですね~ 今はカロイエPのスタッフとして働いています。



ファニー 新メンバーハナのお姉ちゃん。ハナの介助者でもあります。
サービス精神100%で、いつも元気で笑顔で可愛いっす。踊りも最高でしたよー

さてさて、みんなの話を聞いていくと、介助の仕事は好きだし自立生活運動のことをよく理解して一緒に活動して行く気満々です。これからの活動に心強い仲間が増えてるんだなぁーとうれしくなっていたのですが・・・
動き始めだからこその問題がありました。

今は介助者派遣の制度もないし、センターとしての仕組みもしっかり統一できていないです。
もともと友達だったり家族だったりするところから、仕事として介助者になっていて、今は住み込みで利用者と一緒に生活をして介助に入っています。
みんな、自分が介助者なのか、友達なのか、線引きが難しい状態。。。
そして、これからセンターがどんな方向に行くのか、自分たちには十分な説明がないままなので、この先どうなるかもわからず不安な気持ちがあるとのことでした。

裏で行われている当事者同士での話合いでも、介助者の使い方や関係性についての話になって、センターとしてのルールがないことをどうして行くかの話だったそうです。。

これから始まるプロジェクトは、コスタリカの障害者が介助者を使って自立生活できる制度をつくるが目標なので、まさに駆け出しの今は難しくて当然・・・
障害者の自立生活には介助者は絶対に必要で、一緒に運動していく仲間!
当事者も介助者も一緒にたくさん話し合って方向性を見つけ出してほしいです。

この仕事は時間がかかるけどやってきたぶんだけ後に変化があるはず、長く続けてやっていくほど、人や社会が変化することをたくさん見れるので、おもしろい仕事だよと介助歴15年のひろしくんが話しました。
最後にアレックスは泣いちゃいそうと、目をこすってました・・・


午後からは奥平さんによるジェンダーの話だったんですが
奥平さん自身のエンパワメントされた話と女性障害者の歴史を話してくれました。
ハイライトは奥平さん自身これからも恋愛していきたいという話♪ 
会場はかなり盛り上がりましたっ

介助者といえば・・・

なんだか兄弟のようなお二人、右はひろしくん と
左はホセマリアの介助者のアンドレくん16歳 かわいいよ~
 アンドレくんの顔よく見てください!
実は2010年の研修生アンヘリカの息子なんです!!そっくりー
髪質もいっしょーだよ~

2012年2月8日水曜日

帰国研修生の報告会

今日の顔


Buenas noches!! (こんばんわ!!)ヒロシです。
今日のブログ登板は中継ぎの勝也だったんですが、まさかの疲労困憊により急遽リリーフを務めさせていただくことになりました。
「僕の役割はブログじゃなくて、現地の皆と当事者として触れ合うこと!」
と勝也はぶつぶつ言っておりますが、まぁいいでしょう。

真冬の極寒の最中日本の皆さん、そして全国3000万のメインストリーム協会ファンの皆さん調子はどうですか?
こちらはTodos los dias (毎日)最高の天気です。
パンアメリカンハイウェイ!!

タクシー内はどよーん


今日は今回のもうひとつのメインイベントであります。帰国研修生(日本で研修を受けて帰った、未来の英雄達)の帰国後どのような活動を行ってきたのか?、 また今まさにそれぞれの国の状況はどうなっているのか?を報告してもらうその名も『帰国研修生報告会』が行われました。
みんな到着
帰国研修生軍団

今回は帰国後の彼らの活動をここでご紹介しましょう!!
チョチート長くなりますよぉ!なんせ僕がずっとパソコンでノートテイクしていたら、約20000字でしたからねぇ。もはや論文です。

AM10:00コンセホに到着し早速カドタ代表が今日の流れを説明、どの国から発表するのか決めました。持ち時間はそれぞれ1時間くらいということで、7カ国で7時間!
うーん7日くらいほしいところです。

1.やはり先頭はこの国、JICAの草の根技術支援が決まり向こう5年は安泰ですからね。
Costa Rica!! なぜか巻き舌になってしまいますねぇ。本当は巻かないらしいっす。
コスタリカ発表

コスタリカの活動はなんといっても「カロイエプロジェクト」。これによって、数々の障害者たちが地域で当たり前に暮らすための活動を、障害者自身が行い、就労開発、バリアフリー化の訴え、エンパワメント、そして自立の理念をコスタリカに広める発信基地となったわけです。
昨日乗ったバスにちゃんとリフトがついていたのも、彼らが大きな役割をはたしています。
コスタリカのメンバーの交渉なしにリフトはありえなかった。

主な活動内容は
○自立生活センターの設立
○スタッフそれぞれが自立のモデルになること。
○自立をするための費用を賄える環境を作ること。
○介助者探し、養成。
○交通アクセス改善の提案を公共交通機関や役所等に提案・要望すること。
○障害者のための法律をつくるよういろいろな啓発、交渉をしていくこと。
○障害者探し(これによってハナちゃんが町にでるという快挙をとげております。)
カロイエ

今後の動き
メインストリーム協会、JICAとともに自立生活のモデルになり、これを元に障害があっても地域で当たり前に暮らせるということをコスタリカ全土に広め、自立をする障害者を5年間で最低10人にすることが大いなる目的です。
そのためにはいろいろな取り組みが必要ですが、これをここに書いたら夜が明けちまいますのでこのへんで。

いやぁ素晴らしい。
ウェンディなんか大興奮で発表するので、もう通訳はてんてこ舞いで「時速3000キロのスピードで話してます」と、コスタリジョークを飛ばしていましたが顔は笑っていませんでした。
これからコスタリカは中南米のモデルとして活躍していってもらいたいです。
Pula vida!!(コスタリカでしか使わない「最高ぉ!」)

コスタリカメンバーの地道な運動が社会を変えます。


2.おっと2番手はグアテマラ!
ミゲル・アンヘル・アストゥリアス氏がノーベル文学賞をとったポエミィな国です。
このグアテマラもスペインのNGO?からの助成が3年で50万ユーロ!しばらく安泰です。
おまけに23人乗りのバスまで提供され、そのバスにはリフトはおろか呼吸器まで搭載されいるとか!
勝也がグアテマラに飛ぶ日も遠くない!
グアテマラメンバー

体は小人、顔はおっさんのホセ・マリアが熱心に活動内容を報告。
一度は一緒に活動する仲間が帰国研修生だけの3人になってしまったこともあり、それでもあきらめずにひたすらただ前を向いて活動した。
法人格を取らなければどうにもならないと、恥を忍んで1000ドルを助成してくれないかとカドタ代表に頼んだ時、奇跡は起こった・・・。
そう、その時カドタ代表はスロットで1000ドル勝っていたのである!!

その1000ドルを元に法人格が無事にとれ、スペインの助成金を申請することに成功。
その助成金の内訳はなんと人件費に56%費やしてもかまわないらしい。
顔真剣

しかしながら、国の治安等の問題もあり、介助者が一人暮らしの利用者のところに介助に行くというのにはまだまだ大きな壁が立ちふさがっているらしい。
ボランティアを集め、障害を持つ子供たちを家族ではなくボランティアで1日外出というイベントを行い、こつこつと自立への道を探っている。

ほかの帰国研修生の質問
「それだけの助成金があるのなら、なぜホセマリア自身が自立のモデルにならないのか?」
まさにそうであると思わざるをえない。
彼はハッとしてこう答えた。
「このプロジェクトに首ったけで、自立を自分がすればいいんだってこと本気で思いつかんかったとやぁ」
いささか着色が過剰ではあるが、本音である。
彼はこうして、自立を自分がやればいいということをこのコスタリカで学んだ。
また歴史に1ページである。

3.Republica de NIcaragua(ニカラグア)
三番手はニカラグア。いつかは行ってみたいAlegria por la vidaというマナグアのカーニバル。

左ホセ・アントニオ、右エンリケ君

ホセ・アントニオ氏が自分が手塩にかけて設立した団体アディフィンの理事の座を奪われてしまった。という信じられない大事件が実は首都マナグアで起きていた。
昔、軍の中でも抜きんでていた存在の彼がまるで、酔っ払ってオート介助モードに切り替わった時のハタのように力をなくし、切々と語る。ちょっと言い過ぎました。

ニカラグアの帰国研修生の中で自立生活運動を本気でやっているのは、ホセ・アントニオとグスタボのみである。そのことをとても気にしていた。

彼らの主な活動は介助制度の先駆けとして、ボランティアを集めることを行った。
今では大学の単位をとるために、介助ボランティアを行うといことを学校側に承認させ、多くの学生がボランティアを行っている。
あっという間に昼

何年も前から言っていたが、リフト付きのバスを首都マナグアで走らせる。ということは念願叶って、28台ものリフトバスがニカラグアの障害者の夢を乗せて走っている。

彼は言う
「理事を下され、帰国研修生の選定もうまくいっていない。しかし、これでニカラグアはだめだとは思わないでほしい。いつか私は返り咲き、必ず自立生活運動を軌道にのせる!」

4.Honduras(ホンジュラス)
さてさて後半戦突入、ホンジュラス、国名の由来はhondura(深み)を意味するディープな国。
バナナ共和国と世界で最初に呼ばれた国家。

今年度の帰国研修生セレステとクーデターを乗り越えなお活動を続けるが、なかなか実を結ぶことのできないホンジュラスで一番賢いCPカローラが発表。

実を結ばないといっても彼女たちの活動は目覚ましい、自立生活を世に広めるためパンフレットを作り、いろいろなところで講演活動を行い、仲間を集めている。
残念ながら法人格を取ることができず、そのため助成金を得るのがとても難しい状況。
今は人々に理解を得るため引き続き啓発活動を行い、法人格を取るためにセレステと一緒に活動をともにしている。
今後、多くの仲間を得て、助成を得る日はそう遠くない。

5.パラグアイ
パラグアイの国旗は裏と表とで異なるってっ知ってた?
なぜか横向き原因不明

帰国して間もないテオは帰国後さっそく自分の所属している組織に日本でのことを話した。
多くの賛同を得ることができ、今は仲間集めと、啓発活動を行っている。
彼の右腕と言っている女性が来年度の研修生として参加してほしいと強く願っている。

彼女が作った自立をモチーフとしたデザインが好評で、Tシャツ屋にもって行ったら、それを売ることになって、売上の50%が彼の組織に入るとか。

これからも啓発活動、社会保険庁が障害者に提供するアパートをちゃんと実施するように訴えかけながら一緒に活動をする仲間を集める。

6.ボリビア
国の標語「奴隷として生きる前に死ぬこと。」とかなり侍な国。
日本での写真

ボリビアのフェリサの活動はかなり難航している。それというのもたくさんの人に自立生活のことを伝えたが、いまだ賛同を得ることがかなり難しい。夢物語のようだというのである。
彼女はとても有効的なアクションプランを考えていたが、活動の速度を落とすことを決意した。
今はまだ力不足で、ゆっくりとみんなをエンパワメントし、今後日本で研修を受けるメンバーとともに少しずつ活動を広げていくと話していました。
彼女に能力があるだけに、なかなか皆がそれぞれの力で活動をするのではなく、フェリサにお任せになってしまう状況だという。
こんな状況下でも彼女は冷静で、絶望せずとてもたくましく思います。
そんな彼女を応援していきたいな。

7.ペルー
国歌「われらは自由に、常にそうあらんことを」
それなら自立できんじゃね?って思う、今僕の一番行きたい国のひとつ。
あ、これ日本でとったやつ。

アントニエタの活動は帰国してまだ時が浅い。自分の働いているところはコナディという日本でいう社会福祉協議会のようなところらしく、政府機関である。
ここで研修の発表をし、報告をJICAでもしているが、なかなか一緒に活動をしてくれる仲間を見つけるのは難しい様子。
さらに彼女が働いているところは政府の機関であり、運動をするというのはなかなか難しい。
そんな中でもアントニエタ・デ・ペルーは昔テロをしていた人々が住む町(つまりあまり足を踏み入れないところ)でアントニエタの話を聞きたいという人がいたが、そこ出向いて話をしにいったらしい。
みんな日本で研修うけたんです。

以上7カ国の報告をさらっとまとめてみましたが、皆さんいかがでしたか?
何度も僕はグッときました。
日本と比べてどうですか?なんて彼らに聞いたら答えるでしょう。
「やっぱ自分の国がいい」ってね。
自分たちが作ったアクションプラン通りになんて全然いってないだろうし、これから先に本当にうまくいくのか皆目見当もついていないのかもしれません。
あっという間に夜8:00お疲れ様でした。

グアテマラではピアカンもやっているそうです。しかしそこに健常者も入っているという本来のピアの概念からは外れています。
しかしホセ・ラモスは言いました。
「僕たちのやっているピアカンは本来のピアカンとは違うのかもしれない。でも、今にも自殺してしまいそうな人たちが目の前にいるのに、僕たちが力をつけるのを待ってられない、だから手探りでやってるんです。」

笑顔でみんなこんなふうに言っちゃうんです。

ありがとうございました。