2015年5月29日金曜日

コロンビアからHOLA! ⑥ブカラマンガ&エル・カルメン・デ・チュクリ編




こんにちは、らち姉です。511日に無事に日本に帰ってきました。帰国後、みんなとの時間&日本食を堪能していて、帰国から2週間以上が経ってからの更新となってしまい、ごめんなさい。
 今回は帰国直前に行った、ブカラマンガとエル・カルメン・デ・チュクリという2つの町での事について書きたいと思います。55~7日の23日の出張で上記の2か所の町に行ってきました。メンバーは専門家3名と介助者として湯浅さん・良知の5名です。今回は、出張中の介助の引継ぎもかねて湯浅さんも一緒です。
 
 今回行ったブカラマンガはコロンビアで5番目に大きな町で人口は約50万人(西宮と同じくらいだね)。メデジンからは車で行ける距離ではないので、飛行機で向かいます。着いたら手配してあるワゴン車で移動になります。コロンビアは大きな山脈が南北にいくつも走っているので、長距離を車で移動するのは大変なので、飛行機を使うことが多いそうです。陸路での流通が盛んではないので、それぞれの地域が独自の文化や習慣を持っているのもコロンビアの特徴だそうです。行政もそれぞれの県によってやり方が違うことが多く、それもその地域性に合わせた形になっているんだそうです。
移送を依頼した会社が、どこからか借りてきたスクールバス。すわり心地悪すぎて、長時間は乗れそうにないよ・・・
 
 当初の予定では5日の午前中にブカラマンガ到着後、翌日の役所周りに備えてボゴタから来ているユニットの担当者のレイディーさんと打ち合わせをする予定でしたが、体調不良で短期入院することになったため、専門家3名での打ち合わせになりました。
 それ以外にも、手配したワゴン車が条件に合っていないものだったり、奥平さんの通訳として頼んだ人と会ってみると同時通訳ができない人だったり(事前に確認した時はできるって話だったのに)予定外の状況が続きます。このようなプロジェクトの業務に関わる手配・準備は業務調整と言い、上條さんの仕事です。なのでブカラマンガについて予定していたのと違うことが多発して、その調整のために上條さん大忙し。おつかれさまです~。
 
6日はサンタンデール県(ブカラマンガとエル・カルメン・デ・チュクリがある県)の知事や県の紛争被
害者の担当部署の人と会う予定です。
 
6日の朝には別のワゴンになってました。これなら大丈夫そうです!
 
 サンタンデール県のメンバーとの会議では、カバンもケータイなどはロッカーに入れなければなら
ず、写真は全く撮れ・・・。そして県知事は体調不良とのことで副知事が対応してくれました。

会議後の写真がこちら↓
役所で働いている人の中でも、紛争で障害者になった人がいました
 
次は、サンタンデール県に設置されているにユニット(被害者救済ユニット)との会議です。ここでは、紛争被害ってどんなものがあるか、紛争被害者にはどんなサービスが受かられるかなどがわかるようなパンフレットが作られていたり、実際に紛争被害にあった人がユニットのサービスを利用しながらやりたいことに取り組む様子を映像で見ることができます。紛争被害者というのは、身体的に負傷した人だけでなく精神的に傷ついた人や生活の場を奪われた人などもいて、目には見えない被害者が多く存在します。そういう人達がいるんだよ、という事を伝えるためにパンフレットを作ったり、映像で「見える化」している、ということでした。
 
右から2番目の男性がユニットの活動や紛争被害者の映像をつくっている
いわばコロンビアのちゅうげん。なかなかダンディ!!

さぁ、遅めの昼食を済ませたらエル・カルメン・デ・チュクリに移動です。
ブカラマンガの中心部を歩いて車まで移動
 
この写真↑に写っている蛍光黄色の服を着ている人、警察です!
じつは、メデジンの自宅からずっと警察が一緒です。(管轄地域によって警察が交代)
メデジン:自宅~空港 早朝や夜間は警察を付けることがJICAで義務付けられている
ブカラマンガ:初めて行くところで治安状況がわからないので、警察を付けるように言われた
という事で、今回はずっと警察官数名が同行しています。
専門家が事件に巻き込まれたり、命を落とすようなことがあれば、プロジェクトが廃止になるだけではなく、その国で仕事をしている他の専門家や協力隊員も撤退となり、JICAが長年の活動が途絶えたり、継続した関係が途絶えてしまうことになります。なのでJICAは十分な安全対策を取るようにしてるそうです。


 
ブカラマンガを出発して4時間弱、



まだ着きません。




やっとエル・カルメン・デ・チュクリの手前の町まで来ました。この町以降は道路は舗装されておらず、ガタガタ道が続きます。
 



さらに走ること1時間半。

ブカラマンガを出て約6時間後にようやくエル・カルメン・デ・チュクリに到着。

しかし、町は停電中。町に1軒しかない小さなホテルにチェックインしましたが、真っ暗。数本のろうそくの前にみんなで集まって過ごしました。20時ごろ復旧!3時間後には、また停電になってましたが、ネットも電気もないから、何もできないし、みんなすぐに寝ました。
 朝も停電が続いて、薄暗い中で水シャワー。しかもシャワーヘッドが無くて、上から落ちてくるのは水の塊。こんな時に「前に一人旅しててよかった」と思えるんです。へっちゃらでした。
 近くの朝食が食べられるお店に向かうときに、初めてこの町の様子がわかりました。(昨日は停電で真っ暗だったからね)空気がきれいで、町の人ものどかです(^^)

近くのお店まで歩いて向かう奥平さんと湯浅さん。すがすがしい感じ伝わりますかー?

町の一角では、朝からミサ?をしていました


奥平さんが住んでいるメデジンとはだいぶ違い、のどかな感じです。
食事も終え、町の教会の横にある広めの建物で顔合わせがありました。



この日からエル・カルメン・デ・チュクリで協力隊員として2年間生活することになる伊藤さん。
人口が少ないから、全員に覚えてもらえるよ、と言われていました。
 この集まりでは、市長やこの地区のユニットのスタッフだけではなく、紛争被害により障害者になった人も来ていました。

彼は地雷によって片足を失い、そこから当事者として町で使いにくい場所を改善するように求めたり、当事者の意見を反映してほしいと活動しています。
この建物の前に町の中心となる広場があり、そこを作り替える際にもバイアフリーにしてほしいと要望を出して、その意見が取り入れられたそうです。他にも、紛争で足に障害を負った女の子で活動している子もいました(写真は撮れず・・)

この時に市長さんから説明があったのは、この町の8割以上の人が紛争被害者だということ。
特産品としては、カカオや野菜などがあるがカカオをチョコレートにする工場がこの村には無いから、カカオをそのまま売っている。チョコレートにして売れれば収入になるがそれができないから安値で取引することになり、村人の収入は低い。村の役所の予算は年間4億円だけれど、生活保護と教育で予算の8割が消えて、他のことに使える予算がほとんどない、ということでした。
※ちなみに、エル・カルメン・デ・チュクリはエストラート1か2だけだそうです。
そんな話をしてくれた市長さんは、ゲリラに自分の父を殺された紛争被害者です。


この後は町の集会所に行きました。この日は、ユニットの職員が町に来て、みんなの申請を受け取ったり相談に乗る日だったので町みんなが集会所に集まっているということでした。
町のみんなにもJICAのプロジェクトのことを知ってもらおうということで、自己紹介とプロジェクトの説明をさせてもらいました。

自己紹介はスペイン語でばっちり話せるようになった奥平さん!
 そのあとは町の病院を見学させてもらいました。ここもグラナダと同じで、レベル1(軽度)の人にしか対応できないそうです。ブカラマンガまで車で5時間以上なので、グラナダ以上に大変!


そろそろ昼食の時間になりました。 この町で採れたものを使ったランチ。地元の人の手作り(^^)
牛肉はステーキとビーフジャーキーの間のような触感。クセになりそうな感じ。
 



 アボガドは味が濃厚でした。右の器に入っているのはアヒーと言って唐辛子に玉ねぎ・レモン・
アボガド・ゆで卵等を刻んで混ぜたもの。これが絶品で、作り方を教えてもらいました!
 
 
帰りの飛行機の時間があるので、昼過ぎには出発しなければいけません。短い滞在でしたが、
コロンビアで一番当事者に近くなった瞬間だったと感じました。
 

 
メデジンに帰る飛行機の中で専門家の上條さんから、今回行ったエル・カルメン・デ・チュクリで実
際に紛争にあった人の体験談を聞かせてもらいました。
 
 ある晩、ゲリラの集団が町に来て家に押し入って家族を拘束し、家族が見ている前で10代の娘
が10人以上の兵士にレイプされた話だったり、
 家族の前で父親の体に硫酸をかけて体が溶けていくのを見させられたり。

日本ではありえない内容で、衝撃的でした。

 ゲリラの目的は、殺すことではなく反抗できないように精神的に痛めつけるのが目的なんだそう
です。そして村の土地を奪いコカを育て、コカインを売って活動資金にします。コカが植えられた土
地は、その後何年も何も作れなくなるそうです。


村の人は肉体的・精神的に苦痛を味わうだけでなく、生活環境も奪われることになるんだということ
を知りました。
また、コロンビアの大きな課題となっているのが、紛争被害者の社会復帰だけでなく、ゲリラや過激
派組織にいた人達の社会復帰です。プログラムを作って取り組んでいるけれど、紛争被害者から
の反発も大きいようです。
 
 
私達は当たり前のように、安全で恐怖の無い生活ができているけれど、それは国や地域によって
は当たり前のことではないんだと実感しました。
 

 コロンビアに行く前は、治安悪いとか麻薬とかイメージしてたけれど、実際に行ってみるとそういう
言葉だけでは表せないコロンビアを感じました。
今までコロンビアの事をかんがえた事などなかったけれど、これからプロジェクトがどういう活動をしていくのか、コロンビアの紛争被害者はどうなっていくのか、コロンビアという国はどうなるのか、きになってます。

いろんなことが色々あると思うけど、まちゃこさんがんばって!!







                    
                    
                     ☆  今回のおまけ  ☆

帰りも36時間かかりました。地球の反対から帰ってくるには、それくらいかかるんですね~。伊丹空港まで迎えに来てくれたメインストリームのメンバーの顔を見て、「帰ってきたんだなぁ」と実感しました(^^)みんな、ありがとう!!


 

2015年5月5日火曜日

コロンビアからHOLA! ⑤メデジン編3

 
 

Hola! 
「常春の町」メデジンに来て1か月以上が経ちました。
常春っていっても、晴れている日は30℃以上なので、すっかり日焼けしてしまいした。

↑上記の写真は、ポブラド通りの日曜日の様子です。
いつもは車が通る道路ですが、日曜日の朝から13:00ごろまではサイクリングやランニングをする人のために開放されます。犬を連れてウォーキングする人もいますよ~。


さて、JICAのプロジェクトチームのオフィスは先日紹介しましたよね。
少しずつですがプロジェクトが動き始めています。

毎週月曜日には、専門家3人で会議をするようになっています。
事務所の部屋の隣にある談話室で真剣トークの3人

この会議ではそれぞれの仕事の状況を伝えたり、
その週にやるべきことの確認や、出張の前なら現地でやるべきことを話し合っています。

今回は、5月の前半に①ブカラマンガ、②エル・カルメン・デ・チュクリの2か所に出張で行くので、
その打ち合わせも一緒にやっていました。
その2か所の町ではベースライン調査という調査もすることになっています。

プロジェクトで「紛争で障害者になった人も社会復帰できるようにしていきたい!」って言っても、

・紛争で障害者になった人は、どこにいるの?
・その人たちは、今どんな生活をしているの?
・社会復帰をしたいと思った時にどんな事で困っているの?

というような疑問がありますよね。
そういった事を出張先で調査して、数値化したり表にしてまとめていきます。
そして調査で得られた情報は、ユニットなどの関係機関と共有しながら、
プロジェクトとしてどういう方法で問題に取り組んでいくかを決めていきます。

ベースライン調査は5月5日からの出張で初めて行われます。
なんだか私もドキドキ。


そういえば、プロジェクトの事務所はビルの2階にあるんですが、ビルの入り口には階段が4段あります。
階段のところにはいつも何人かがたむろしている
 
奥平さんは車椅子で通勤のため、スムーズにビルに入れるように日本からスロープを持ってきたんですよ。
そのスロープを出勤の時と帰るときに、守衛さんが毎回セッティングします。
※守衛さんって行っても、腰にはピストルがあります

 

初めは、スロープのセッティングにモタモタ時間がかかっていましたが、
慣れてきたら奥平さんの顔を見たら、スロープを用意してくれるようになりました。

でも、紛争被害で障害者になった人が車いすに乗ってきた場合、今までどうしてたんでしょうかねぇ??



 あと、このビルはエレベーターには
エレベーターガールならぬ
セニョール アセンソールがいます。
 (私が勝手にそう呼んでるだけ)

このおじさん、見た目はフツーだけど、
じつはすごい人!!

 このビルは結構古くて、
エレベーターも100歳くらいのおじいさんです。
1階でエレベーターに乗って「2」を押しても行きません。
一度3階や5階に昇って、降りてくるときに2階で止まる、というほう方法で行くか、
エレベーターをマニュアル運転に変えて、 止めたい位置でブレーキをするか、です。
 
そして、セニョール アセンソール は手動で2階にピタッと止めてくれます。お見事!!
これはもう職人技!!
毎日出勤するので、奥平さんのことも覚えてくれて声をかけてくれます。
 
職場への通勤には以前紹介した福祉タクシーを利用しています。
上條さん、山ちゃんはメトロを使って通勤されていますが、奥平さんはタクシーを使うようにJICAから言われています。
 
車両とホームの隙間が空きすぎているため乗り降りの際に介助が必要で自力では乗れない。(日本のように駅員さんがいないので、スロープを持ってきてくれるとかは無いです)

車内で、何かあった時に車いすでは対応できないことがおおい。(車内でもスリはいるし、集団で一人の人を狙うこともあると聞きました) 
 
そんな事があるので、奥平さんは福祉タクシーを使って通勤しています。
 
その通勤の時の風景がこちら↓
 



ゴミが捨てられている所から、食べ物を探して食べていたり、
売り物になりそうなものを探しています。

それだけではなく、何人かが道に座って集団で麻薬をしている様子も目にしました。
距離にして、事務所から徒歩10分弱のところがこんな感じです。(絶対歩いて行かないけど)

EAFIT大学で日本語教師をしているかおりさんによると、
前はメデジン中のゴミを捨てる集積所があって、
そこに小屋を建ててゴミを拾って生活している人がいたそうです。
でもゴミを集めてもそのまま放置しているので
メタンガスが発生し、空気の汚染がひどかったので、
ゴミの上に土をかぶせて山にしてしてしまったそうです。
そして、そこで生活していた人には公団を作って家を与えたのですが、
生活していく収入が無いので、セントロなどの小さなゴミ捨て場に来て、
ゴミの中から食べ物や生活用品を探してる、ということでした。

その話を聞いて、写真の人達はそういう生活をしている人たちなんだということがわかりました。

コロンビアに来てから、いろんなものを見て、いろんなことを聞いてわかったことは、
コロンビアはかなり格差があるということです。
一番上の写真のように、休日にスポーツウェアを着て体を動かし、午後からは家族でショッピングセンターに行って買い物を楽しんで、外食して帰るような人がいる一方で、
靴も履いてなくて、ゴミの中から食べ物を探し、シンナーみたいなものを吸って空腹を麻痺させて、体がぼろぼろになっていく人もいます。

そして、その格差が車で5分の距離で存在しています。

そのギャップに初めはすごく驚きました。でも生活を送っていく中で、現実なんだと思うようになりました。

コロンビアの貧困層は全人口の50%以上です。
そして紛争被害者は、全国民の約12%です。

紛争被害者と貧困は、大きく関係してるのかもしれない、と思いました。
そして、障害のある紛争被害者は、推定で約35万人といわれています。

奥平さんたちのベースライン調査が進めば、現状がわかってくるんでしょうね。
明日から、いよいよ3日間の出張です。


出張には、介助をやってくれることになった湯浅さんも一緒に行きます。
もちろん先週・先々週に介助研修をやりました!!



①外出介助
奥平さんは基本的には電動車いすで外出するのですが、簡易電動も使うことがあるので、手動に切り替えて段差をあげたり,降ろしたりの練習もしました。
湯浅さん、コツがつかむのがうまくて、ばっちりでした!!





②家事研修
料理・掃除もやりました。
料理は新人研修と同じ感じ。
掃除は、ほうきと塵取りできれいにした後にモップがけをするのがコロンビアスタイル。
掃除機は売っているけれど、使っている人はあんまりいないとか。


ちなみに湯浅さんは、芸術家で8月には東京で個展を開催予定なんだって。そして元協力隊員。

もう一人、西さんという方にも介助に入ってもらえることになりました。
あ、西さんの写真撮るの忘れた・・・・。
 
 

☆今週のおまけ☆
4月30日に出勤してみると・・・・

 壁一面に「お誕生日おめでとう」の文字が!!!

5月1日は奥平さんのお誕生日!コロンビアはメーデーで祝日になるので、1日早く職場の人たちがお祝いしてくれました。9日が誕生日の私も合わせてお祝いしてもらいました~!!
 
二人でケーキに願い事

吹き消すのも一緒
うちらすっかり仲良しですやん!!
 
コロンビアの伝統的なカバン「ワジュ」を山ちゃんからもらってました
ここの事務所に来るようになって3週間なのに、お誕生日を覚えてお祝いしてくれるなんて、
みんな優しい~!!手作り感たっぷりのお祝い、嬉しかったです。

奥平さんおめでとうございます~!!